東久留米経友会の歩み
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東久留米経友会は昭和38年、7名の青年経営者達が発起人となり設立されました。
設立趣意書によりますと、「指導者訓練を基調とした自己修練と相互の親睦を図ること、また、地域社会における経済、文化に関する研究ならびに経済、文化の改善発達に関する研究実施を行い、久留米町産業発展の原動力になろうと、ここに町内経済人の同友会を発起した次第です」となっておりました。
この自負心が会の発展をもたらし、会員の意識を向上させ、会員の中から、市長をはじめ市議会議員、商工会長、商工会役員、その他多くの地域の指導者を生むことになりました。
会の事業としてもっとも力を入れていたのは、『経済と文化』という年2回発行される新聞でした。
巻頭の社説ともいえる欄は、街づくりへの提言となりますが、タイトルが「ひらけ行く東久留米」ということでもわかるように、行政への批判が主な内容になり、この点で物議をかもすこともありました。
平成18年より会の運営を大幅に改めました。目的は会の魅力付けと会務の負担減少です。
まず「経済と文化」は休刊としました。必ずしも会員の意見が反映された内容とはいえず、内容が硬すぎて、一般の読者だけでなく会員にも余り読まれていないのに、費用と労力が莫大にかかるからです。
つぎに会の行事や運営について、会員の意見が反映されるように、毎月理事会を開き、そこへ会員は自由に参加して意見を述べることが出来、和やかな雰囲気で飲みながら親睦を深めることにしました。
さらに親睦の事業については、なるべく多くの会員や家族、従業員などが参加できる企画を年一回実行することにしました。
最後に、経友会をアピールする事業として、経費はかかっても著名な講師を招き、大きな会場で一般市民向けに、文化講演会を年一回開催することにしました。
このように会の運営を改め、その後、第7 代野崎会長のもと色々と工夫を重ねながら、東久留米経友会50周年を迎えることができました。51年度からは第8代中村会長の下、新鮮で充実した会として生まれ変わり、第9代西川会長に創立時の思いが引き継がれ、現在に至っています。
東久留米経友会
名誉会長
故 村野 健彦